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THE HISTORY OF VIKING FOOTWEAR


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- バイキングフットウェアの歴史 -

バイキング社は1920年に北欧ノルウェーでペーテル・マティアス・ロヴデによって創業しました。
創業して間もなく、冬の厳しいノルウェーの人々の暮らしを快適にする為のゴム製品の開発を始めます。その中で最も初期に作った製品は、地元の農家の人たちのニーズからヒントを得たモノでした。それはクラシカルなガロッシュ(泥除けや防水、防寒用のゴム製で靴の上に履く靴)で雨や雪、ぬかるんだフィールドで完璧な防水性を発揮したのです。
やがてラバーブーツやワークブーツなどの生産を開始。バイキングブーツの機能性の高さは人々に広まっていき、次第に農家だけではなく、漁師や林業従事者、そして様々な探検家にも使われる様になりました。バイキングブーツを履いたそれらの人々は、ぬかるんだフィールドをしっかり歩き、岩場でも安定して立ち、寒く⾧い冬の日々を駆け抜ける事ができました。
現在、私たちの製品ラインナップはより多くの人々のニーズに応えられるようになりましたが、創業から100年を過ぎても私たちは創業当時の初心を忘れることはありません。 ロゴマークについて私たちは、個人のサインや筆跡と同様で、ブランドの魂を表現するモノだと考えています。さらに日々の姿勢において、また私たちが作る製品においても「大地に根ざした」会社でありたいと考えています。
私たちの製品は、屋外の厳しい環境から素足を保護するものです。私たちは謙虚に、そして自らを大きく見せたりする事はしないと決めています。過酷な使用に耐え、非常に丈夫で、自然の厳しい状況に対応できるフットウェアを作る事が私たちの使命です。
私たちのロゴはその思いが反映されたモノです。「バイキング」と言う言葉の語源は、ノルウェー南東部のオスロ・フィヨルド周辺の湾岸エリア出身の人を意味する「バイケン出身の人」だと言われています。そして「バイキング」と言う言葉は古くから、「強く、屈強で、荒々しく、勇気に満ち、勇敢で、野心家」というイメージを⾧い間もたれてきました。
私たちは1920年の創業以来、北欧の環境に適した靴を作り続けています。それは今現在も私たちが行っていることであり、これからも変わる事なく引き継がれていきます。

1920s
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バイキング社は、創業後早い段階からラバー開発の為に優秀な化学者を招き、競合他社よりも優れたゴム製品の製造を可能にしました。
その後ファッションやトレンドの変化により、1920年代後半にはガロッシュの生産は大きく減り、スノーソックスや体操用のシューズの生産が増加しました。バイキング社は次第にそれらの生産を拡大し、後にラバーブーツやワークブーツ、レザーシューズやハンティングシューズ、鋲付きのサッカースパイクなどの生産を開始しました。

1930s
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1930年代、バイキング社はゴム長靴やワークブーツ、ガロッシュに加え、自動車用ゴムタイヤ、ゴム製の床材、階段用コーティング剤(これはノルウェー王城などで使われていました)、湯たんぽやスクールバッグ、ゴム製の衣類や手袋、キャンプ用のマットレスや輪ゴムに至るまで、様々なゴム製品を生産していました。その後、時間の経過と共にそれらの全ての経験を活かしつつ、特に靴の製造に焦点を当てる事を決めました。しかし、工場での製造も軌道に乗り始めたさなかの1934年、残念な事に工場が全焼してしまいました。
直ちにより効率的な新しい工場が建設され、ほどなくして生産数は1日に10,000足のガロッシュ、1,200足の靴、100本の自動車用タイヤ、500本の自転車用タイヤが生産できる体制を整えました。 従業員数1,100人を抱えたバイキング社は、当時ノルウェーで最大規模の職場のひとつでした。

1940s
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1940年代、生産は専門用語でコンベア&チェーンと呼ばれる装置を活用し、生産効率を上げる事に成功しました。
当時の生産は、すべて手作業で行われており、コンベア部分に15〜20人、チェーン部分は4人のオペレーターによって構成されていました。
バイキング社のスキー靴は、かつてないほど好調に販売され、「暖かくて快適で、滑りにくいソールと優れたフィット感、厳しい寒さの中でも潤滑油なしでソフトな履き心地が持続する」というセールスポイントがうたわれ、人気のスキーブーツとして広告で大々的にアピールされました。

1950s
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1950年代の初めには、完成したアッパーにアウトソールをプレスして底付けするさまざまなプレス機械を購入しました。この方法で生産された「ウィークエンドシューズ」と呼ばれる靴は、プレス加工したゴム底が施され、軽量に作られていました。
この頃、ノルウェーは飛躍的な成長を遂げていました。
新しく建設されたダムから安価な電力が豊富に供給され、水へのアクセスにも制限が無かったため、国内の様々な場所に新しく工業系の会社が設立されました。バイキング社も成長を続け、ノルウェー国内にいくつかの部門を立ち上げました。この頃バイキング社は、テキスタイルブーツやスリッパなどの新製品の生産をスタートします。 さらに、この時のバイキング社のサッカーシューズは、ノルウェーサッカー協会のディレクションにより、年齢別のクラスで使用されるサッカーシューズとして選ばれました。

1960s
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1960年代半ばにはプラスチックのモールド施設を購入。1969年に「チェロックス(Cherrox)ブーツ」を発表しました。オット・シュナイデルがゴム製のバイキング・チェロックスのアイデアを出した発起人でした。
この時完成したチェロックスは、実際に本物の革靴のように見えたのです。
新しいデザインと新しいプラスチックラバー技術によるコンビネーションは大きな成功を収め、瞬く間にアスキムの工場のキャパシティーでは生産が追いつかない状況となりました。そのため、1971年にオッタに別工場を設立し、その7年後に生産拠点をイギリスに移しました。
この頃、10代の女の子は「バイキング・ラックレット」(紐付きブーツ)を履き、母親は「パブロヴァ」や「トスカーナ」(女性用ハイブーツ)を履く人が多くなりました。
*元々チェロックス(Cherrox)ブーツの名称は、バイキング社が開発した、ライニングに起毛素材を施したブーツの名称でしたが、現在の北欧では同様のスタイルの長靴を総じてチェロックス(Cherrox)ブーツと呼んでいます。
「ロッキー」と呼ばれるハイキングブーツは、1966年のサマーコレクションに発表され、新製品として発売されました。
ノルウェーのトレッキング協会(DNT)の理事でルートインスペクターでもある著名なマウンテンハイカーのグンナル・ラッベは、このハイキングブーツを心底気に入り、「私はこれまでゴム製のブーツは、手頃で防水という大きな利点があるが、まだ試す勇気がありませんでした。そのため、新しいハイキングブーツ・ロッキーとの出会いは、とても嬉しい驚きです」と述べています。
その後、ハイキングブーツのロッキーとそれ以外のバイキング社の多くのブーツは、山でも森でも、ハイキングに出かけるときの頼もしい相棒となりました。
このことが、バイキング社とノルウェートレッキング協会(DNT)の長い協力関係の礎となったのです。
60年代にはいくつかの伝統的な製品が誕生しました。
バイキング社のセーリングブーツは瞬く間に人気を博し、現在でも「カデット(Kadett)」や「サイラス(Seilas)」は定番商品として多くの人々に愛用されています。

1970s
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1971年、バイキング社はアスキム、ミョンダーレン、スタヴァンゲル、オスロ(国立のゴム工場)、ランゲヴォーグ(発泡ゴム工場)、ホックスン、リューカンに工場を所有する大きな組織となり、新たに「バイキング・アスキム社」という名で再編されました。
ホックスンの工場(バルダーシューズの工場)ではレクリエーション用の革靴の生産を行っていました。 リューカンでは、同じくレクリエーション用の布靴が生産されていました。
当初、縫製されたアッパーはアスキムの工場に送られ、そこで靴底を底付けしていましたが、後に底付け用のプレス機はリューカンに移されました。
1970年代半頃、バイキング社はスニーカー「レトロトリム」を発売し、瞬く間に大成功を収めました。 レトロトリムは、2020年のバイキング100周年に向けた初秋向けのコレクションの一部として発表され、2020年6月から数量限定で発売されました。
サッカーシューズの「バイキング・プロフ(Viking Proff)」は、ほとんどのサッカー場で見かけるようになり、後にヨ・ネスボ(Jo Nesbø)率いるノルウェーのバンド、ディ・デーレ(Di Derre)が後にこのシューズに捧げる曲「バイキング・プロフ(Viking Proff)」(1996年)を発表しています。
1972年から1973年にかけて、ラバーブーツの生産はマレーシアに新設された工場で行われる事となりました。(それらは後に中国などへ移されました)。
ノルウェーのサッカー選手ドリロは、いつもバイキングブーツを履いているところを目撃されており、彼がバイキング社のラバーブーツを履いてウェンブレーに入ると、英国人ジャーナリストが、その姿を二度見していたという逸話も残っています。
当時ドリロは、「ワールドカップまでの道のりは、Lakksko(レザーオックスフォード紳士靴)と葉巻ではたどり着けない」
つまり、素敵でおしゃれな靴を履いて葉巻を吸ってはワールドカップにはたどり着けない。シンプルで機能性の高いラバーブーツを履くべきだ。(見た目ではなく、機能性を重視するべきだ。)
というスローガンを掲げたバイキング社のラバーブーツキャンペーンで何度も顔を出してくれました。

1980s
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1984年、タイヤの生産部門は会社の経営から切り離されました。タイヤ生産部門はスウェーデンのギースラヴェ社に引き継がれましたが、その後もバイキングタイヤと呼ばれていました。
1988年、ソウルで夏季オリンピックが開催されました。
バイキング社は、「カデットブーツ(Kadett)」を1足売るごとに、ノルウェーのオリンピック出場選手により良い練習の環境を提供するための寄付をする事を決めました。
カデットブーツの売れ行きは好調で、バイキング社はノルウェーのオリンピック出場選手に対し、少なくとも150万ノルウェー・クローネを支援することとなりました。

1990s
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バイキング社は子供たちのことを真剣に考えています。そして、北欧の気候の中でも活発に遊ぶことが出来る様に、さらに多くの靴を開発しました。
新しい生産方法と新しい素材や材料によって、私たちはさらに革新的な靴を生産することができる様になりました。1992年、世の中ではゴアテックスを採用した靴メーカーが少ない中、バイキング社は靴にゴアテックス・メンブレンを採用した靴メーカーのひとつとなり、90年代半ばにはゴアテックスを使用したハンティングブーツ「クロッサー」を発売しました。

2000s
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バイキング社は自然の法則に対し挑戦を続けました。すなわち雨や雪など厳しい自然環境でも耐えられる商品の開発を続けたのです。私たちの大人向けハイキング シューズは、「TV Norge」と呼ばれるノルウェーのテレビチャンネルの番組「北緯 71 度」で、バイキング社は公式サプライヤーとして靴を提供しました。その為、そのハイキングシューズは、番組内で大々的に使用される事となりました。

2010s
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バイキング社は継続して革新的な取組みを続けていました。ゴアテックスを使用したハンティングブーツはさらに改良され、子供たちのための園庭や校庭は、私たちの靴を履いた子供たちで溢れていました。
バイキング社は昔から変わらず現在でも、親が子供のために季節に応じた丈夫な靴を買うときに信頼できるブランドとして認められています。

2020s
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バイキング・アウトドア・フットウェアは、そのトレードマークと共に長い伝統と歴史を歩んできました。 靴が改良を重ね変化をしても、私たちの自然に対する愛情は決して変わることはありません。
私たちが培った靴に対するハイレベルなの技術開発を全てのお客様に提供するために、あらゆる段階で私たち自身が常に革新的である様に努めています。
そして私たちは謙虚な姿勢でいると共に、靴業界のパイオニアであることに誇りを持っています。子どもたちの靴であっても、ハイキングブーツであっても、耐久性に富んだ革新的な靴を何年にもわたって提供し続け、天候や地形と共存する製品を作り続けています。
2020年、バイキング社は100周年を迎えました。バイキング社はノルウェーで最も古いブランドの一つで、ノルウェーの産業史に貢献してきたのです。

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